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ChicagoのHard to Say I'm Sorryも産業ロックのバラードの一パターンからは絶対はずせません。
私にとってこのChicagoはこのHard to Say I'm Sorry以前でも、大御所的存在でした。1970年には25 or 6 to 4
をヒットさせて、管楽器のを加えたブラスロックのという分野を確立していたし、その後もSaturday in the Park(1972)
やIf You Leave Me Now(1976)など大ヒットを出していたので、この時代、名前を忘れられる事は無かったように記憶しています。
産業ロックのバラードの一パターン=ピアノなどの鍵盤楽器で始まり、メロディーが美しくって、途中からディストーションギターやストリングス、 コーラスなどが加わって盛り上がって行くもの、出来ればギターソロがあってロック色を残しているもの。
Hard to Say I'm Sorry - Chicago (1982)
このライブは1984年のもの
後半のGet Awayまで聴くとブラスロックの本領がわかります。
1970年代初頭のシカゴのイメージはこの曲でした。
25 or 6 to 4 - Chicago (1970)
直訳すると「4時25,6分前」
邦題は「長い夜」
1978年にリーダー的存在だったテリー・キャスを拳銃暴発事故でなくしてからは、しばらく低迷していました。で、Hard to Say I'm Sorryを含むアルバムChicago 16で復活します。
Chicagoの場合、急に産業ロックに変貌した感じではなく、70年代後半からブラスロックの色合いからピーター・セテラのボーカルを中心のスタイルに徐々に変わっていったと思います。
その後、ピーター・セテラは脱退しソロでも活躍します。
glory of love - peter cetera (1985)
日本映画「竹取物語」の主題歌になったStay With Meもいい曲です。
Chicago 16 -
Chicago (1982)
リマスター盤